★ 未来への道標 ★
クリエイター遠野忍(wuwx7291)
管理番号166-5187 オファー日2008-11-03(月) 22:44
オファーPC 流鏑馬 明日(cdyx1046) ムービーファン 女 19歳 刑事
ゲストPC1 朝霞 須美(cnaf4048) ムービーファン 女 17歳 学生
<ノベル>

 



 殺してやる。
 殺してやる。
 殺してやる。

 仄暗い闇の中で彼は誓った。彼を彩る闇は夜だからなのか、それとも自身が抱えているからなのか。

 ヒトではないくせに。
 真実生きているかも判らないくせに。
 誰からも奪う事しかできないくせに。 
 俺からも一ばん大せつなものをうばっていったやつが、しあわせになる権りなんて、ない。

 ざくり。
 ざくり。ざくり。
 ざくり。ざくり。ざくり。
 写真がきりさかれていく。
 被しゃたいのおとこは勿論切りさいている男とは別じんで、かみ型も肌のいろもきている洋服のしゅみもまるでちがうが、どう一じん物なのは明らかだ。

 ざくり。
 ざくり。ざくり。
 ざくり。ざくり。ざくり。
 ばらり。
 ばらり。ばらり。ばらり。
 ぐしゃ。ぐしゃ。ぐしゃ。

 きりさいたしゃしんをゆかにむぞうさにばらまき、このよのなによりもにくいといわんばかりにふみつける。

 ぐしゃ。
 ぐしゃ。ぐしゃ。
 ぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃ
 ぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃ


 ほねもくだけよ、とばかりに。







 流鏑馬明日は忙しかった。
 相棒の草臥れた刑事が、今度はメタボ検診で病院に行ってしまい、デスクワークをこなしつつ事件の捜査にも行かねばならなかった。以前、老人会のロックフェスタの時は糖尿病の検査で明日が一人で警備や何やらの手伝いで働いた。
 自分は健康に気をつけようと心に誓ったのは相棒刑事には黙っておく。尤も、健康に気を使って健康体でいようとも、定期健診という厄介なものからは逃れられないのだが。
 パルは定位置のヒップバッグの中ですやすやと寝息を立てている。
 事件捜査のとき、子供や女性に聞き込みをする時や被害者を慰めるのに、いつも一役買ってくれている。
 これから行く捜査は、殺人事件の捜査だった。
 刑事というものは原則的に二人組みで行動しなければならない。しかし今の明日に相棒はいない。別の刑事も今はなにやら忙しそうに仕事をしていたから、代わりの臨時相棒も見つかりにくそうだ。
 だから、というわけでもないだろうが、明日はこの日、被害者の関係者への再度の聞き込み担当だった。関係者は若い女性だから、同性の明日は適任だった。実は関係者の女性からは詳しい話は聞けていないのだ。スターが殺害されたことを知ったショックで憔悴しきっていて、アリバイが明確だったこともあり、それ以外の確認は殆ど取れていなかった。
 相棒刑事は草臥れた中年男だが、存在感が大きいのか、すぐに人に馴染み誰とでも打ち解けられる。
 自分には出来ないし無い才能……といっても過言ではないものだから、素直に明日は尊敬しているし憧れている。見習いたいと思うが、なかなか巧くは出来ない。

 事件は、とあるムービースターが殺害されたことに端を発した。
 それだけならば、悲しいことだが他の殺人事件と大差は無い。
 他の事件とは少し様相が違うのは、同じ俳優が演じたムービースターばかりが相次いで殺されている、ということだ。
 彼らを演じた俳優に安否を確認したところ、彼は今映画の撮影で長期間海外に行っている様で無事だし、念のためのアリバイも十分すぎるほどだった。事件発生時は海外だから、飛行機を使って着たら往復の時間だけで丸一日かかる。犯人候補の一人は消えた。
 俳優はこまめに映画に出ているらしく、主役クラスは居なくとも、準主役やいわゆるチョイ役のムービースターとして実体化していて、地道に暮らしている。彼らのアリバイも取れている。
 全く犯人像が見えなかった。
 通り魔殺人にしては、被害者が共通しすぎている。
 俳優も含め、万人に好かれている訳でもないが、殺されるほどの恨みを買うものは誰も居ない。
 事件現場周辺の聞き込みなどに力を入れているのだが、なかなか成果が上がらない。
 スターの殺人を、ファンやエキストラの殺人と同意義に扱うのか、ということで意見は分かれているのだが、一先ずそれは他所に置かれた。何よりもまずは犯人検挙が第一だ。倫理的なことはもっと上のほう――裁判所や学者たちの意見で決まるだろう。
 明日は支度を整え、デスクワークをしている同僚達に軽く挨拶をして、警察署を出た。
 日はまだ高く、空は青かった。






 朝霞須美は休日だというのにも関わらずに学校へと来ていた。
 忘れ物を着たのではなく、ましてや補習などではない。苦手な科目もあるが、須美は実に素晴らしい成績を修めていた。
 バイオリンのレッスンならば、大変ではあっても何時間続けようと全く辛いとは思わないが、勉強の方は些か苦労を伴う。本音を言えば、出来るだけ勉強はしたくはない。そんな暇があるならレッスンをしたい。
 それでも、学生の本分は勉強にあるわけだし、出来ないよりは出来たほうが色々と円滑に進む。
 学校に来た理由としては、午前中のみの模試の為だった。
 せっかくの休日を潰された上に模試。生徒達には大変不評だった。これが三年生であればまだ納得も出来ようが、受験の逼迫さも無く一年生のように学校に不慣れなわけでもない二年生だから、それは仕方が無いのかもしれない。
 かく言う須美もうんざりしていた。
 だが午前中で開放されるのだから、午後はレッスンも出来る。
 今はただ、何かに打ち込んでいたい心境だった。
 ふと気を抜くと、苦い思いがこみ上げてくる。体の全てが真ん中から苦いものに侵食されていって、指先まで拒絶したい感情で満たされる。

 すまん

 あの一言が耳から離れない。
 何度も何度も打ち消しても、何度も何度も蘇ってくる。
 フラれたのだとは思う。それは間違いない。なのに、あの一言を発したときの彼の表情(目はぼさぼさの前髪に隠れているのだが)や雰囲気を察するのに、もしかしたら、と、期待のようなものが頭と心を支配して、だが期待はしてはいけないと自分を戒め、気の休まる暇が無い。
 誰かに相談もしてみたいのだが、生憎と同級生に相談できるほどの仲の友人は居ないし、かといってムービースターやファン、エキストラの友人では“彼”の事も知っているものも多いから相談は出来ない。
  はぁ、と大きくため息をつく。
 慌てて辺りを確認するが、模試から開放された騒々しさと周りに生徒が居なかったことが幸いして誰かに聞きとがめられる事は無かった。
 それも少し物足りなく、けれど確実に安堵していたから、その二律背反の思いにまた疲れを感じながら、須美は上履きをローファーに履き替えて昇降口から出て行った。
 少し冷えだした空気がわずかに耳を傷めた。




 「……どうですか、調子は」
 「ええ、少しは落ち着いてきました。というより、落ち着かなくちゃって感じですし」
 暖かい日の光がさす長閑な公園で、明日は被害者の関係者とベンチに座って話をした。
 近くの自動販売機で購入した紅茶を彼女に差し出して、明日は手の中でまだ大分熱い缶コーヒーを持て余し気味に左右へ動かす。
 「ところで、その……刑事さん。犯人のことは……」
 女性が言いにくそうに、申し訳無さそうに、明日へ問いかける。腕の中でピーチのバッキーがもぞもぞと動いているのが明日の深い漆黒の瞳に映る。
 彼女は、3番目の被害者の恋人だった。
 ムービースターと、ムービーファンの、恋人同士。
 なんとなくくすぐったいような、もどかしい様な。何度も聞いた筈なのに、心が落ち着かない。
 「……ごめんなさい、それは、まだ……」
 言いにくそうな明日を暫くじっと見つめていたが、女性は寂しそうに俯いた。
 「そう、ですよね……」
 恋人を失う辛さは明日には判らない。
 だが、それに近い想いならば判る気もした。けれども全く同じ気持ちな訳ではないし彼女自身でないのだから、100%完全に理解するということは無理なのだろうか。
 ふと、一人の男性が頭を過ぎる。
 理知的な面立ちに柔らかい微笑をたたえ、ひそかに読書とティータイムを愛し、苺のチーズタルトが大好きな、あの人を。
 慌てて明日は頭を左右にぶんぶんと振る。
 今は勤務中なのだ。あの人の事を考えている場合ではない。ましてや、目の前には大切な人を、恋人を亡くして悲しんでいる女性がいるのだ。
 慌てて明日を頭を左右に思い切りぶんぶんぶんと振る。
 何でそこであの人のことを思い出すの…! と、自分の心にも驚いたからなのだが、目の前にいる彼女は大きな目をぱちくりとさせて不思議そうに明日を見つめている。
 「い、いえ。なんでもありません。それより、辛いことを思い出させて申し訳ないのですが、その、被害者、の方はどういう……」
 言い辛かったが、犯人逮捕の為、被害者のことを知る必要が合った。銀幕市に着てから被害に遭ったのだから、彼の出演していた映画のスタッフに聞くよりも確実だと思われた。 それに映画の彼は、おだやかな日々は愛おしい、というコンセプトり元に作られた映画だったので、同じ映画出身のスターに憎まれるということも無いし、映画を見ていたファンから疎まれるということは無い。
 女性もどこか言い辛そうだった。
 けれど、その表情は、何から話せばいいのか、と悩んでいるようにも見えた。推測が正しいのであれば、彼女とて犯人逮捕に協力したいのだろう。

 「……明日さん?」
 落ち着いた、しかしまだ、明日よりもまだ幼さを感じさせる心地の良い声が、明日を呼びとめた。
 品のいい仕立てのセーラー服を着た少女―朝霞須美が居た。


 「須美ちゃん。今日は、学校だったの?」
 「ええ、模試があって……」
 明日少し眩しそうに須美のセーラー服を見つめた。自分は中学も高校もブレザーだったから、セーラー服には少し憧れていた。
 「あ、ごめんなさい。お話中でした?」
 女性の姿を視界に入れた須美が、申し訳無さそうに一歩下がる。
 その艶やかな黒髪を縫ってリエートが可愛らしく顔を覗かせる。パルは相変わらず明日のヒップバッグに入ったままだ。好奇心旺盛な彼にしては珍しい。きっと寝ているのだろう。
 ピーチバッキーは好奇心旺盛なのか、リエートに興味津々の様子だ。
 女性は須美に対しても感じよく微笑みかけた。ムービーファン同士、同性同士、安心するもがあるのだろう。
 明日が少し戸惑っていると、女性が口を開いた。
 「いいえ。出来れば、貴方にも聞いて頂けると、嬉しい。大した話じゃないけど」
 柔らかく、けれど寂しそうな笑みの女性の言葉を、無碍に断るわけにもいかない。
 須美は全く事情が判っていなかったのだが、深刻そうな様子だったので、自分も力になれれば、と、促されるままに、女性の隣に座った。リエートは相変わらず肩に乗ったままだ。ピーチに対して興味はあるらしいが、まだ少し警戒心がある様だ。
 明日はそのちょうど反対側に静かに腰掛ける。パルは定位置から出てきて、明日の膝の上におとなしく座った。
 女性がポツポツと語りだした。
 それは、よく晴れた真夏の日だったそうだ。



 ―結構前です。銀幕市に魔法がかかって、すぐだった。
 私、その時付き合っていた人と大喧嘩したんです。いわゆる、別れ話がこじれてってやつです。何度も何度も切り出していたんですけど、全然聞いてもらえなくて。
 別れようって思っていたのは、その人の束縛が強すぎて。
 出会った頃は優しかったんですよ。そこに惹かれたんですし。でも、付き合い始めてから段々束縛が強くなって。最初は愛されていて嬉しいって思っていたんですけど、徐々にエスカレートし始めて……。職場の男性と少し笑って話をしただけで激昂するような人で。そもそも職場が違うのにどうして判ったんだって感じですよね。
 そういうことも怖かったし、別れようって。
 いつも相手が泣き落としをしてきて、こっちも情に流されてしまっていたから、今日こそは絶対に別れようと決心して公園に行ったんです。喫茶店とかだとやっぱり人の目もあるし、どちらかの部屋だと怖いし。
 まあ、そこで、なんとか……色々とありましたけど、相手にその旨を伝えて。何か言い出す前に帰ろうと、それ以外は何も言わずにその場から立ち去りました。逃げたって言うほうが正しいのかも。そのくらい、私はもうその人のことが嫌だったし怖かった。
 半分走るようなペースで歩きました。少しでも早く相手から距離を取りたくて。
 でも、暑かったのと緊張とで軽く眩暈を起こしてしまって、倒れそうになったんです。
 その時に助けてくれたのが、彼でした。
 ベンチに座らせてくれて、冷たいジュースを買ってきてくれて、落ち着くまで、ずっと心配してくれていました。
 それがなんだか凄く嬉しくて安心して、泣いてしまったのを良く覚えています。彼、すごく驚いて慌てていました。
 それから少し話をして、彼がムービースターだと知りました。出会う少し前に実体化したそうです。初めて直接スターを見たのが彼だったんですけど、全然イメージと違いました。もっとこう、特別な雰囲気とかなのかなって思ってましたから。
 でも、彼、普通の人でした。何が普通かって言うのは難しいですけど、晴れていると嬉しそうだし、雨だと洗濯物が乾きにくいって言うし。美味しいもの食べているときも凄く幸せそうでした。
 まだ友達がいないから仲良くしてくれると嬉しいって言ってくれて、私も嬉しかった。
 デートっていうほどのものじゃないけど、しょっちゅう一緒に出かけました。彼、ファンタジー映画の出身じゃないから、銀幕市に馴染むのは早かったみたい。買い物に付き合ってもらったり、映画を見に行ったり……。当たり障りのない感じでしたけど、とても楽しかった。
 半年位してから、彼から「付き合って欲しい」って言われました。私も好きでした。それから1年弱くらいは今までどおりのお付き合いで、3ヶ月前から、同棲をはじめました。
 でも……。



 女性はそこで言葉を切った。とても悲しそうに俯いている。
 明日はハラリと落ちてきた真っ直ぐの黒髪を少しかきあげた。3ヶ月前で悲しそうな顔をするのには何があったのだろうか、と。事件が起きるのにはまだ早すぎた。
 元カレといわれる者が難癖でも付けに来たのだろうか。
 「両親に、反対されまして。最初に彼をつれて家に行った時は歓迎してくれたのに、スターだって判ったら、交際そのものも反対されました。ましてや同棲だなんてとんでもない、って」
 ああ、と納得のため息がこぼれる。
 彼女の両親は別にスターに偏見があるわけではないのかもしれない。けれど、スターはいずれ夢から覚めて消え行く存在なのだから、娘に悲しい思いをさせたくは無いのだろう。
 反対するのも短絡的だとは思ったが、それは、まだ若いからなのか、それとも。

 「それでも私、反対を押し切って同棲を始めました。だって今しかなかったし」
 ピーチバッキーを優しく撫でながら女性は続ける。
 「幸せでした。仕事から帰ってきて料理を作るのは大変だったけど、彼が帰ってきて一緒に食べるご飯は美味しかったし、何より彼が、美味しいよって言ってくれたし。たまに喧嘩もしたけど、本当に、幸せでした」
 顔立ちそのものはパッと目を引くほどの美人ではない、が、悲しそうに笑う女性は、驚くほど美しかった。
 ふと、須美は、何が“今しかない”のだろうと気になった。
 「それから、暫くしてのことでした。土曜日で、私は仕事が休みで。彼は仕事がありました。夜、携帯にそろそろ帰るよって連絡があって、急なひどい雨が降っていたから迎えに行くねって言いました。気をつけてね、ありがとうって、それが、最期でした」
 須美は息を呑んだ。
 何も知らずに聞いていたのだが、女性の恋人はムービースターで、亡くなったのだ。
 「アパートから駅までの途中で、彼が倒れていました。人気の無い道だから、一人で雨に打たれて倒れていました。沢山、血が流れて……」
 そこまで言って、女性は顔を覆って言葉を切った。いや、切れた。
 ピーチバッキーが心配そうに女性を見上げる。
 恋人が血だまりの中にいる姿を思い出してしまったのだろう。
 「……ごめんなさい、辛いことを思い出させてしまって」
 明日が申し訳無さそうに、頭を下げる。仕事とはいえ、こういう時は明日のほうまで辛くなる。いつか慣れるとき来るのだろうかと思うが、多分そんな日は来ないだろうと、心のどこかで確信している。
 「……いいえ。大丈夫です。忘れられないことだし、誰かに聞いてもらいたかったし……」
  女性は、大きく深呼吸してから、続けた。
 「抱き起こした時には、もう、返事もしてくれませんでした。救急車を呼ぶとか、その時は考えられなくて。騒いでいるうちに、彼は、フィルムになりました」
 ムービースターは息絶えれば、フィルムになる。遺体は残らない。それは、明日も須美も、痛いほど知っている。
 ただ一本のフィルムになる。


 話し終えた女性は泣くこともせずに、毅然と明日を見つめて懇願した。
 「犯人が捕まったって、見つかったって、彼はもう戻ってこないことくらい、判ってます。でも、お願いです。必ず犯人捕まえて下さい。刑事さん、お願いします」
 「はい。あたし達が、必ず、犯人を見つけます。 ……貴方も、身辺には気をつけて下さい」
 女性が小さく頷く。

 彼女の帰り道の途中まで、二人は送った。
 ここまでで大丈夫です、ありがとうございます、と女性は頭を下げた。挨拶をして、彼女は頼りなげだがしっかりとした足取りで家路を辿る。


 明日と須美は、なんとなく無言で歩いた。
 この後どこに行こうかとか、そんな話はしなかった。そういう気分にはなれなかったのかもしれない。
 「もしも」
 歩きながら、前を向いたまま、須美がポツリと呟いた。
 「もしも、私が彼女の立場だったら、あんな風に話が出来ないかもって、思いました」
 「須美ちゃん……?」
 「フラれてしまったんです。いえ、フラれたのならまだ諦めもつくんですけど。……好きだって言った答えがすまん、でした。諦めなくちゃいけないのか、期待すればいいのか。判りません」
 正直、明日は驚いた。
 容姿は勿論だが、高校生であるのに落ち着いた立居振舞や毅然とした態度など、同性の明日から見ても、須美は美しいと思う。だから、そんな須美がフラれる等と想像もつかない。むしろ袖にした男は相当人を見る目が無いのだろうとしか思えない。
 「スターを好きになるのは、いけないことなんでしょうか……」
 寂しそうに、須美が明日を見た。
 恋人がスターで反対された。
 先程の女性はそう言った。
 自分の両親も反対するのだろうか。ファンやスターの友人達は応援こそすれ、反対など全くしていないが、やはり両親に反対されるというものは悲しい。自分の好きな人を好きでいてくれた方が、嬉しい。
 ぼさぼさ頭の貧乏歴史学者と、未完成を自称する少年と。三人揃えない事がこんなにも心苦しいだなんて、思いもしなかった。
 けれど、告白したことは後悔はしてない。なのにこんなに息苦しい。
 「悪いことなんて、無いと思うわ。だって、好きになるのに、そんな事気にしていられるかしら」
 「明日さんは気になさらなかったんですか?」
 「え。べ、別に、あたしは、そういう意味で言ったんじゃないわ。ただ、そ、そんな、人が人を好きになるのに立場とか、そういうことは気にしないのが普通っていうか、その」
 珍しくしどろもどろになる明日を須美はじっと見つめる。
 須美の中にある明日はいつも毅然として見惚れるほどに美しい、全ての現象にたいして真っ直ぐな姿勢を貫いている。その、明日が、心なしか頬を染めて狼狽えている。
 年上にもかかわらず、なんだかそんな様子の明日がとても可愛らしく見えた。須美より二つ年上の十九歳の筈だが、いつももっと大人っぽく感じる。整った顔立ちをしているから、余計に落ち着いた大人に見えていたのだが、今はまるで同世代の友人のような親近感すら覚える。
 「……あたしは、どうなのかしら。ただ一緒にお茶を飲んだり本を貸し合っているだけで別に良かったんだけど」
 「私もです。それなのに気がついたら、好きになっていました。だらしないし頼りないし意気地なしだし。いい所なんて殆ど無いんですけど」
 でも、と須美は続ける。
 「駄目な所ばっかりなあたりを好きになったのかなぁ、って。だらしないし頼りないし意気地なしだけど、だから、放っておけなくて、守ってあげたくなるのかしら」
 明日が思い浮かべた相手は、須美の片思い(ではないかもしれないけれど)の相手の様なタイプではなかった。
 むしろ真逆かもしれない。
 何が起きても落ち着いていて、側にいるとこちらまで穏やかにな気持ちになれる。彼の柔らかい声を聞くのがとても心地よい。一時間話をしていても瞬く間に時間が過ぎてしまう。
 好きか嫌いで分類したら、間違いなく好きだ。
 しかし、それが恋愛感情なのかはわからない。今まで誰にもそんな感情を向けたことは無かった。
 元々、相手に好意を持って期待をして後で傷つく事が怖くて、必要以上の好意を持ったことが無かった。自分から人間関係を築く事も無かったから、こんなとき、どんな顔でどんな風に問いかければいいのかも判らなかった。
  「明日さんは、その方の事、とてもお好きなんですね」
 こんな事を言われても、明日としてはただ、吃驚するだけだった。彼は須美も知っている相手だから、やたらと気恥ずかしい。別にからかわれている訳でもないし、名前を挙げたわけでもないのに。
 「そう……なのかしら」
 だが確かに、あの人のことを思い返すと胸が締め付けられるような思いとともに、心の中が何かに満たされていくのを感じる。名前を、顔を、声を、ほんの些細な仕草を、思い返すだけで、体中が充足されていく。
 もしも彼に好かれていなかったとしたら、それは、とても悲しい。
 友人としてでもいいから、好かれているとしたら、とても嬉しい。
 息苦しいほどの思いを抱えること、これが、人を好きになるということなのだろうか。
 苦しみと切なさの中に一片の幸福。ひとたび思い人に会えば、それが全てを埋め尽くす。
 「そうね……あたしは、あの人が好きなんだわ」
 はじめて自分の気持ちを認識して、それを口に出して認識する。
 やたらと気恥ずかしくて逃げたしたくなる思いに駆られるが、須美が、柔らかく微笑んでいたから、咳を一つして誤魔化した。
 明日は、自分の方が年上であるのに、こういったことを打ち明けて相談するのは間違っている気もしたが、未経験のことを誰かに尋ねるのは、決して恥ずかしいことではないだろう。


 照れながらも、話をして歩いた。
 道中で結構な時間話し込んでいたと思っていたが、時計を見ると、5分も経ってはいなかった。
 その時、車道側を歩いていた明日と男がぶつかった。
 「すみません」
 「……」
 無言かと思われたが、あまりにも小さな、ぼそぼそとした声で「こちらこそ」と男は言った。
 男は足早に明日と須美が歩いてきた方向へと歩いていく。
 その後姿を明日はじっと眺める。
 「どうかしたんですか?」
 「いえ……ただ、あのひと、少し」
 刑事の勘というものだろうか。
 世の中には、「刑事の勘なんていうものがあれば冤罪なんて存在しない」という者もいる。
 しかし、何人何十人の人間と出会い、何人何十人の犯罪者や容疑者、被害者と会う刑事という職業の人間には自然と人を見る目というものが培われていく。刑事の勘のない刑事なんて刑事とは言えない。
 つまり、明日の勘というものに、あの男の何かが引っかかった。
 見るからに怪しい男ではない。ラフな服装をして、髪形も丁寧というほどではないが纏まっていたし、ただ声が異様に小さかっただけだが、雰囲気が違っていた。
 「須美ちゃん、あなたはこのまま帰りなさい」
 「……いえ、私もついていきます」
 素人探偵と紳士強盗に言われるだけあり、須美も何か気がついたのかもしれない。だが年長者として、警察の人間として、一般人の彼女の動向を是とするわけにはいかないのだが。
 「なら、絶対にあたしより前には行かないで。約束よ」
 「はい」
 須美は確かに戦闘能力の無い、そういった意味ではごく普通の少女だが、いざという時に逃げることが出来るし、救助を求める手段も知っている。明日に何かが起きたときも須美ならば他の人間に対して落ち着いた態度で対応できるだろう。
 真剣な面持ちの須美を後ろに歩かせて、明日はゆっくりと男をつけた。



 男と二人が辿る道は、先程まで話していたあの女性を送った道だった。
 まさか、という思いが二人の体を走り抜ける。血が逆流する思いとはコレだろうか。ぞわぞわと体の中に流れる血液が暴れまわっている感覚。

 女性には、大喧嘩して別れた恋人がいた。
 そして、女性の恋人のスター(と同じ顔)が次々と殺されている。
 最期の被害者は、女性の恋人。

 何故気がつかなかったのか、と明日は内心、行儀が悪いが舌打ちをした。
 ストーカー紛いのことまでして束縛する男なら、勘違いして被害者が自分の恋人を奪い取ったと思う可能性もあるだろう。
 明日のジャケットの内ポケットには警察手帳が入っているから、職務質問をかけることも容易い。
 丁度人気が無く、開けた道に出たので、須美を電信柱の後ろに待機させて、明日は男に声をかけた。


 「ちょっとすみません。……こういう者、ですけど」
 警察手帳を開いて男に見せ、明日は厳しい口調で問いかけた。
 「……何か」
 先程よりはまだ聞こえる大きさで、男は返事をした。ジャケットのポケットに手を入れて、目がきょろきょろと泳いでいる。
 明日は丁寧に警察手帳を懐にしまうが、男から目は離さない。
 「最近ムービースターが狙われている殺人事件があるのですが。何かご存知ありませんか?」
 「さあ……私は何も。それにもう終わったことじゃないですか」
 ピクンと眉を上げる。
 「何故です?警察はまだ犯人を検挙していません。どうして終わったことだと言えるんです?」
 この男がもしかしたら警察の人間ではないかと言う可能性は考えなかった。マスコミ関係かも、と問い詰めてから思ったが、やはり、そういう関係の職業とは無関係に思えた。
 厳しい明日の視線に耐え切れなくなったのか―
 男は、いきなり逃げ出した!
 それも、須美が隠れる電柱のほうへ、と。
 「……ッ!!」
 須美ちゃん逃げて、と声を出しそうになったが、もしあの男に捕まったら……と何も言わずに追いかけようとしたのだが。
 「ぐッ!?」
 突然男が前のめりに倒れる。
 さっと須美が足を出して、男を転ばせたのだ。
 須美は呻いている男を飛び越えて、明日の元へと駆けてきた。
 男もすぐに立ち上がり、顔中にアスファルトに散らばる僅かな砂も気にせずに襲い掛かってくる。手にはポケットから出したらしい小ぶりのナイフ。
 後ろで須美が息を呑むのが判る。
 だがナイフ如きで焦る明日でもない。
 数歩踏み出して、襲ってきた男の襟元を掴んでを手前に引き崩しながら自らの体を開くと同時に、相手の足を一気に跳ね上げ、そのまま地面に叩きつける。
 素早くヒップバッグから手錠を取り出し、ガチャンとかける。
 「午後14時28分、暴行未遂の現行犯で逮捕」
 言いながら、明日は須美に警察署に連絡してくれるように頼んだ。今は男を押さえつけているから、携帯電話で話すことは容易ではない。
 連絡して、明日の名前を出すと警察はすぐに応対してくれた。詳しい場所は丁度電信柱に住所が書いてあったので、読み上げた。すぐに向かいます、といわれて礼を言い、プチっと携帯電話を切る。いまどきの女子高生の様にデレコーション等はしていない携帯電話を、須美は学校していの通学バッグのポケットの中にしまう。
 「……貴方が、ムービースターを殺した犯人ね……何故?」
 男を押し付けたまま明日が問う。
  「あいつら、あいつらは……いきなり俺達の世界にやってきて、いきなりデカい顔して暴れまわって、色んなモン奪っていきやがった……!しかも、俺の恋人までたぶからして奪っていきやがった!」
 突然表情が変わる。声をかけるまでは無難な、何処にでもいそうな顔立ちをしていたのに、まさしく人が変わったかのように険しいものへと変貌する。
 「ヒトではないくせに! 真実生きているかも判らないくせに! 誰からも奪う事しかできないくせに! 俺からも一番大切なものを奪っていったやつが、幸せになる権利なんて、無い!」
 「それは違う」
 激昂する男を静かに見ていた明日が、ピシャリと跳ね除けた。
 「何が違うんだ! あいつら人間だって言うのか! 魔法なんておかしなもので出来ている奴らが人間なのか!」
 須美は男を殴りそうになる衝動を懸命に堪えた。
 こんな他人を罵る様な男に、友人達を侮辱されている事は耐えがたかった。明日が動じていないのが須美の感情の暴走を辛うじて止めてくれていた。
 「スターが人間かどうかなんて、それは人夫々に思うことでしょう。スターが嫌いな人間もいれば、好きな人もいる。でもね。その事に貴方は何の関係も無いの」
 「なん、だと……ッ!?」
 「貴方の昔の恋人が貴方から離れていったのは、貴方の束縛が原因なのよ。他の誰の所為でもなく、貴方自身の所為」
 「束縛じゃない! 俺は彼女を愛している! だから他の男が近づくのが許せないんだ!あいつは俺のものだ!俺だけのものなんだよ!!」
 「人は誰のものでもないわ。たとえどんなに好きでも、誰か個人のものになんてならないのよ。だって、物じゃないもの。思い通りにしたいとか、誰かが近づくのも許せないなんて怒るのは、間違ってる」
 激昂もせず、泣きもせずに、ただ淡々と冷静にはっきりと告げる。男はやがて沈黙していく。
 「……何故、他の人まで手にかけたんですか」
 怒りを抑えた声色で須美が問いかける。明日はその様子を見守っている。
 男は答えない。
 嗚咽だけが聞こえる。
 催促の問いかけをするべき須美が再度口を開いた瞬間―
 パトカーのサイレンが辺りに響いた。





 駆けつけた警官と明日が暫くなにやら話し込んでいるのを、須美はぼんやりと見つめた。
 結局何故あの男が続けざまにスターを殺していったのかは聞きそびれてしまった。それが口惜しい。
 ずっと心配そうにしていたリエートの頭を優しく何度か撫でる。彼はそれで安心したのか、須美の肩に頭をこすり付けて甘える。家族以外にはかなり警戒心が強いが(挙句男性だと威嚇することもあるのだ)、こういう所はとても可愛い。
 ずっと気になっていた。女性の言葉だ。
 “今しかない”という、あの言葉。
 何だろうとずっと考え込んでいたのだが、まるで天啓のようにすとんと心の中に滑り込んできた。
 それが多分正解であり、そして須美を何より元気付けさせる意味合いだった。
 ふっと自分でも意識せずに笑みがこぼれる。リエートの不思議な感触の背中に頬をすりつける。ぽにゅんという感触が愛おしい。
 そうすると不思議なもので、今までいったい何に落ち込んだりしていたのだろうという気持ちになる。未来は大切だけれど、現在はそれ以上に大切なのだから。
 明日が片手を挙げて戻ってくる。
 「連続殺人の動機。憎かったから、だそうよ。恋人を奪ったと思い込んでいたから。同じ顔のスターが憎かったから。最期の被害者が一番憎かったのは当たり前みたいだけど、ね」
 「そうなんですか……なんだか、勝手すぎますね」
 残された女性がこの犯行動機を知ったらどう思うだろうか。
 明日と須美は同じ事を考えたらしい。
 だがその辺りはもっと適任の刑事がやんわりと告げるか、もしくは犯人逮捕だけで済ませるかもしれない。そして何より、あの男が裁かれるかどうかも定かではない。
 明日も須美も、スターは人間であると認識している。いや、認識する必要も無いくらいの当たり前の事実として受け止めている。
 目の前にいて、生きて、触れられて、話せて、笑いあったり喧嘩したり、そういうことをしている相手を人間ではないと否定することのほうが難しい。
 だが、法的にスターは守られている存在ではない。
 しかしこの銀幕市においては法と良心が機能してくれると、今は信じるしかない。
 あの男が複数の命と、幸せを無理矢理奪っていったことは間違いないのだから。




 パトカーで送ってくれる、という警察を、謝意を示しつつ断り、須美は明日と連れ立って歩いていた。
 「明日さん。私、わかったんです。あの人の、“今しかない”の意味が」
 「……ああ、あの女性のね。それってどういう…?」
 「スターって、何時かいなくなってしまうかもしれないんです。だから、今しかないんです。好きって言っていられるのは」
 くるりと明日のほうを振り向いた須美は実に晴れやかな笑顔だった。表情自体は静かに保たれているものの、心からの、というに相応しい笑みだった。
 「今しかない上に、あんな断り方をされて諦められるくらいの、簡単な気持ちじゃないですから。今しかないのなら、お前なんて興味ないよってフラれるまで、私、諦めるの止めました」
 吃驚して明日は須美を見つめた。
 言われてみれば確かにそうなのだ。
 銀幕市にかけられた夢が無窮に続くわけではないことは理解している。何年か経っても諦められないから再度、という長期戦には向いていない。
 ならば今のうちに精一杯、相手を愛することが一番有効な過ごし方ではないだろうか。
 自分の心に嘘をついて気持ちを隠すことが必ずしも間違っている訳ではは無いかもしれないが、正直に素直になることも、とても大切なのだ。
 好いた相手が居なくなってから、好意に気がついてももう遅い。
 「そう、よね。あしたのことばかり考えて今が見えていないのなんて、本末転倒よね」
 珍しく、明日が微笑む。
 あまり表情の変化が無い明日だが、この時の笑顔はきっと誰もが見惚れるほど、自然で愛らしいものだっただろう。
 「……なんだかお腹が空いたわね。何か食べに行きましょうか?」
 照れ隠しのように明日が提案する。時間は既に午後3時を回っていた。
 「喜んで。……実は私、お昼食べてないんです」
 模試帰りの須美は昼食は自宅でとる予定だった。明日は軽い昼食は済ませてから警察署を出たから、少し空腹程度だったので喫茶店にでもしようかと思っていたが、それを聞いてはレストランにするしかないと、何処の店がいいかについて悩んだ。
 「聖林通りに美味しいパスタ屋さんがあるんですよ。良ければ行きませんか?今ならもう空いているだろうし」
  悩んでいるところに、須美の提案が来た。
 どちらかといえば和食派の明日だが、勿論パスタも好物だった。
 「じゃあ行きましょうか」
 「はい。 ……そういえば、明日さんの好きな人って、どんな……」
 思いかげない問いかけに、明日は思わずズッコケそうになるのを慌てて堪えた。
 「……秘密よっ」
 顔が赤くなるのが自分でも良くわかったので、顔を見られないように明日は足早に聖林通りに向かって歩き出す。
 慌てて須美が後ろから駆けてくるのが判るが、どうにも照れくさくて速度を抑えられない。
 けれど、この気持ちを誰かに聞いて欲しいし、あの彼のことについても話をしてみたい。
 けれど、気恥ずかしさが勝ってなかなか話すことが出来ない。
 二つの気持ちにはさまれて、どうにも落ち着かなくて少し苛々とするのだが、やたらとそわそわして嬉しくて落ち着かない。

 何もかもが腹立たしくて、何もかもが愛おしい。
 恋をするって、きっとそういうこと。




クリエイターコメント ご依頼ありがとうございました!
そして大分お待たせしてしまって、大変申し訳ございません。

恋を諦めない決意をしたお嬢さんも、
恋を自覚して少し戸惑うお嬢さんも、
とっても素敵な女性だと思います。その良さが少しでも表現できていてお伝えできていれば何よりです。

重ね重ね、この度は誠にありがとうございました。
お二人の幸せを何よりもお祈りさせて頂きます。
誤字・脱字、言葉遣いの違和感等ございましたら、善処させて頂きますので、遠慮なくご連絡下さいませ。
公開日時2008-12-03(水) 23:20
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